画面は開発中のものです

人生とは、永遠のβテストだ。

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[注]
このページは、2018/3/13時点で公開中の映画
「さよならの朝に約束の花をかざろう」(以下、"さよ朝")に関する、
考察らしい考察は特になく、中途半端にネタバレ要素のある能書きです。
「映画をこれから見る予定だけど、事前に情報を仕入れたく無い」という方は、
今のうちにページを閉じることをおすすめ致します。

上記に該当する方にご退席頂く間に、
私の"さよ朝"に関する一連のツイートを並べておきますね。












はい。
もう本編入って大丈夫でしょうか。


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2/18に、日本中を震撼させたクソアニメがあることは記憶に新しい。


「ヘルシェイク矢野」
超満員の武道館ライブ。
電車遅延で到着していない、他のバンドメンバー。
ギタリストの矢野は、メンバー到着まで、
自身のギターソロで間を持たせようとする。
が、彼の高速ピッキングに耐えられず、
次々にギターの弦が切れていく。
そんな"地獄"のような状況にも関わらず、
彼のプレイは会場を揺るがせ続ける……
地獄を揺さぶる、ヘルをシェイクする男。
「ヘルシェイク矢野」

「ボブネミミッミ」でおなじみのAC部の制作であることとか、
深夜アニメ枠でまさかの「高速紙芝居」が展開されるとかで、
反響が反響を呼びまくっているこの状況。
もう日本中、ヘルシェイク矢野のことが頭から離れない……

 * * * 

そんな日に、奇しくも私も会ったんですよ。矢野さんに。



同、記事より

矢野大地さん。
高知県嶺北地区のNPO法人「ONEれいほく」の発起人にして代表理事。
同・NPOが資金難に陥ったことにより、
全国をヒッチハイクで回りながら、講演等を通じ寄付を募る、
「ヒッチハイクファンディング」の活動を、現在実施中。

この活動の一環で、奇しくも2/18、東京での講演会を開催。
この偶然から、私は彼を、こう呼ばざるを得ない。
「ヒッチハイク矢野」と。

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koba_line

シリーズ「個人的昔話」の執筆目的


事業発足に必要なのは、
その事業に傾ける「情熱」であり、
「情熱」の源泉は、事業発起人の「原体験」にある。

実業家たちの本をいくつか読み漁って、
上述の仮説を得た私は、
自身の「原体験」を掘り起こすことを思い立った。

原体験を振り返り、
そこで得た人生の糧を、
自分がこれから起こそうとしている事業に活かすことを目的とした、
一種のブレーンストーミングである。

今回の「原体験」

小学校3年生から中学校1年生までの5年間、
私はバスケットボールクラブおよび部活に所属していた。

1987年生まれであれば、小学校2〜3年生くらいの頃に、
TVアニメで「スラムダンク」が放送されていたかと思う。

かくいう私も、視聴者の一人で、
バスケ素人の桜木花道が、強敵・強豪を相手に成長していく様に興奮し、
小学校のホームルームで配布された、
地域のミニバスケットボールクラブへの勧誘チラシによって
ついに自身もバスケをやりたいと思うようになる。

しかし私は、桜木花道のようには、なれなかった。

ただでさえ運動神経が悪いことに加え、
アニメで見た知識しかない自分は、
スポーツとしてのバスケットボールのルールや戦略性について、
よく知りもせず、何より知ろうともせず、
漫然と、コーチや監督の練習メニューをこなすだけの日々。

「あいつは俺より背が高いから強いんだ」
「あいつは俺より足が速いから上手いんだ」

そう思っていられるうちは幸せだった。

そのうち、自分よりも後からバスケを始めた同世代や、
自分よりも年下の子達にすら、実力で離されるようになる。

小学校6年生くらいの頃には、
根本的に自分は運動に向いていないのだろう、ということに、
薄々気付いてはいたのだが、
何故だか「引くに引けない」と思い込んでしまい、
結局小学校卒業まで、ミニバスケットクラブには所属し続けた。

お別れ会のときに、監督に
「最後までよく頑張ったね」
と言われ抱きしめられたのをよく覚えている。
その時、その言葉に、子供心に、疑問や違和感に似た感情を抱いたことも。

中学校進学後、
「部活に入らなければならない」
「バスケを続けなければならない」
という、謎の思い込みから、バスケ部に入部。

そこには、同じくミニバスに通っていた同学年のメンバー。
「このメンバーの中で、自分はカースト最下位だ」
そんな思いを抱きながらの練習の日々。

桜木花道に憧れていた、かつてのモチベーションは、とうに消え去っており、
バスケを続ける意義も意味もモチベーションも何も無かった。
ただただ練習について来れない、成長も無いお荷物の自分。
同世代のメンバーも、先輩も、そんな自分に苛立っていたと思う。

結局、いじめを苦にして、中学2年生への進級を機に退部。
入れ替わりで入学してきた、ミニバス時代の後輩に対し、
「ごめんね。俺、バスケ辞めちゃった」
と告げたのを覚えている。
いったいあの時、私は何に対して謝っていたのだろう。続きを読む

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