画面は開発中のものです

人生とは、永遠のβテストだ。


先日、バイク乗車中の車載(正確にはメットに取り付けている)動画をアップしました。
実は結構撮りためているので、その中からひとつ紹介しようと思います。

それは、2016年の10月。
シルバーウィークが明けた後の三連休を利用して、
「そうだ。長距離ツーリングに行こう。」と思い立ったんです。



行き先は「石巻」と「気仙沼」。
当時、「日本人として、被災地の様子は自分の目で見なきゃいかんだろう」と、
妙な使命感を持って、現地に向かったのを覚えています。

1泊3日の弾丸旅行。 
仕事明けの金曜夜から夜通し東北自動車道を走り、
土曜の朝には石巻に到着し観光。
お昼前には峠を越え、気仙沼へ。
昼食を取り、資料館を見学し、日帰り温泉を探し、そのまま宿を取り。
夕方前にホテル周辺を散策。部屋に戻って泥のように就寝。

で、翌日の朝。
関東に戻るために出発した時の様子を、以下にて。

 

気仙沼港周辺の町並みを眺めながら、
前日に散策した時の記憶を呼び起こしながら、
私は次のようなことを語っていました。

「プレハブと新築と廃墟と、町には色々な建物が入り乱れている」
「災害を受けて、未だに立ち上がれない人、何かを諦めた人、
 立ち上がった人、色々いるのだと思う」
「立ち上がった人たちが居る中で、被災地を、いつまでも被災地と呼び続けるのは、
 失礼に当たらないだろうか」
 
もちろん、完全に復旧したわけではない。
みんながみんな、前に歩き始めたわけではない。
未だに時が止まったままの人だっていて、
そうした人たちに対して、無理に前を向けなんて言えない。

それでも、だからこそ、災害を乗り越えた人や場所に対して、
応援したい気持ちはあるし、いつまでも辛気臭い眼差しを向け続けるのも、違うと思う。

「ポスト被災地」というか、「ポスト復興」というか、
「復興のその先」を見据えている人って、どれだけ居るだろう。
これは東北に限らず、あらゆる被災経験地に当てはまると思うのだけれど、
 「被災」というターニングポイントを経て、それをバネにして、
 その土地でこれから何ができるのか。
これから「地方」をキーワードに何かしら仕掛けていきたい身としては、
考えていかなきゃならないテーマかな、と思います。

執筆者プロフィール

KOBA / KOBA5884 / 小林佑輔

1987年生。青春時代及び社会人経験の初期を神奈川県で過した後、2018年5月、福岡県うきは市に移住。

システムエンジニアとして食い繋ぎつつ、そこで培ったスキルを地域貢献に活かせないか模索中。

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