画面は開発中のものです

人生とは、永遠のβテストだ。





楽天の「お買い物マラソン」に乗じて、
いつか買おうと思ってた日用品をあれこれ購入したついでに、
これまたいつか買おうと思ってた本たちを、この機会にとまとめて注文。

上記の画像(買った本をズラッと並べたやつ)を各種SNSにアップしたところ、
思いの外反響を頂きまして、みんな誰がどんな本を読んでるのかって興味あるのね、などと思ったり。

届いて並べてみたところ、「これ本当に私一人で読み切れるのか……?」と、
軽い絶望を感じつつも、コツコツと1日100〜200ページずつのペースで読み進めています。
1冊を100ページほど読んで、飽きたら別の本を100ページ読んで、みたいな。

どうやら自分は、ぶっ続けで本を読む際の集中力は100ページが限界らしい。
ページあたりの情報量が増える情報雑誌になると、もっとペースが落ちるか読み飛ばし始めるか。

とはいえ、興味のある内容なら、本を読むこと自体が苦になるという感じはなく。
むしろ、自分の人生を振り返ってみると、
本という媒体に触れる時間自体は、思いの外長かったのではないか?と、思い至ったり。

図鑑が大好きだった子供時代

どういった経緯だったかは覚えていないが、
我が家には図鑑があって、それをよく読んでいた。

図鑑の内容は、食べ物のことから宇宙のことからゴミ問題まで、まぁ色々と載っていた。
環境問題を扱うページで「地球が泣いている」という記載を見つけ、
その翌日に保育園のグラウンドを撫でながら「ごめんね、ごめんね」と呟いていた記憶がある。
あー、じゃあ、就学前から自分で図鑑開いて遊んでたのか。私は。

幼少期の様々な体験の時系列なんて曖昧なものだが、
その頃に「図鑑」に触れてたことが、その後の人格形成に大いに影響したんだろうな。多分。



そんな思い出もあり、姪っ子の4歳の誕生日には図鑑を送った。通販で。
後日、彼女の中でお気に入りのページがいくつか見つかったようで、何よりだった。

ゲームの攻略本を、かじりつくように読んだ学生時代

今さら言うまでも無いとは思うが、小学校から今に至るまで、私は大のゲームっ子だ。
市販されているテレビゲームはもちろん好きだったし、
学校の休み時間に、友達が自由帳にゴリゴリ書いたオリジナルのRPGで遊ぶ時間も好きだった。
(もしあの頃に「TRPG」を知ってたら、きっとどハマりしてただろうな)

御多分に洩れず「ゲームは一日一時間」の家庭であったが、
ゲームをしていない時間は、関連書籍を読み漁っていた。
ゲーム攻略本、ゲーム雑誌、アンソロジー小説やコミック……

みなさまは「ゲーム攻略本」に、どのようなイメージを持たれているであろうか。
「アクションゲームならコースの全景図が、RPGなら敵の弱点が書いてある」
きっとその程度の認識だと思う。

私が夢中になって読んだのは、物語の舞台の世界観や世界設定だったり、
武器や防具のデザインのディティールだったり、
登場キャラクターたちのゲーム内の台詞の裏に隠れていたバックグラウンドだったり、
ゲーム製作陣の開発の苦労話だったり……

ゲームを通じて得られる体験そのものは、もちろん好き。
ゲーム体験の外側を支える様々な要素を覗き見るのも好き。

大好きで、夢中になった世界のガイドブック。
それが、私とゲーム攻略本の関係。

ビジネス書・自己啓発本に触れて回った社会人時代

ここら辺は最近の話ではあるのですが、
電子書籍リーダーを手に入れたり、そこで無料本やら格安本やらが読めるものだから、
ビジネス書とか自己啓発書とかが、読書の中心になりましたね。

主に読んだのは、
堀江貴文、西野亮廣、落合陽一、メンタリストDaiGo……
「うゎ意識高い系やん近寄らんとこ」と敬遠されること請け合いなラインナップ。

「彼らのように成れたなら」と、心のどこかで思いつつ、
「でも簡単に人って変われないよね」と、心のどこかで諦めつつ。


いや、ここまで振り切れるほど読みはしなかったけれども。

自己啓発書は、自分の人生の羅針盤程度と捉えて使っている感じです。
なんとなく、現状に停滞感を感じたりしたときに読むとか、そんな程度。

ただ、そんな中で「自分の事業を作らなくては!」と思い立って以降は、
ビジネス書を読む機会は増えましたね。
個人事業の始め方、税金関係、ライティング、マーケティング、ブランディング……

「で、結局君は何をするの?」と言う感じ。こう、外堀から埋めてると言いますか。
あー、でもプログラミング教育に関係する本は若干買ってますね。あと地域活性化系。
このあたりは、追々どこかでご紹介できれば。

参考書・技術書の熟読は向かなかったようだ

そんな私にも「苦手な本」がありまして。

まず参考書。
ゲーム攻略本みたいに赤本でも食い入るように読み続けることが出来てたならば、
今頃は最終学歴に有名国公立大学を履歴書に書いて、年収も桁が違ったりしてたんでしょうね。

学生の頃、塾には通わず通信教育での家庭学習だったのですが、
最初のうちは順調に提出するものの、終盤は溜めまくってましたね……
一度溜めてしまうと、古いものから崩そうとして、
そうこうしている間に無慈悲に翌月号が届いて積んでいき、やる気が削がれるという悪循環。

でも、学校のテストの成績はよかったんだよなー。
通信教育の講義の範囲と学校の授業の範囲が被ってなかったのが敗因だったのかもしれません。

これとは性質が異なるのですが、
「ゼミの勉強会の一環で」とか「業務命令で」とかで指定図書とされる技術書だったり文献だったり。
これらも読むのがだいぶ苦痛でしたし、現在進行形で「見なかったことにしてる積ん読」があったり。
これらについては、2〜3ページ読み進めるだけで偏頭痛と眠気が襲ってくるので、
脳に相当に負荷がかかっているのだと思います。


「努力は夢中に勝てない」

どんどん読めてしまう本がある一方で、開くのすら億劫になってしまう本がある。
「これは読んでおいてね」と人に言われて強いられて読む本と、
誰に言われるわけでもなく、気付いたらネットでポチって読みふけっている本と。

多分ここに、自分が夢中になれるものと、そうでないものとの境界線のヒントがありそう。

今、読んでいる本の中に、「努力は夢中になれない」というエピソードがあって。
優れた才能を持つ人は、それに取り組むにあたっての鍛錬とか準備とかを「努力」とすら思わない。
一方で、結果を残せないけれど上を目指したい人は、そのために「努力」するのだけれども、上に追いつけない。
高みにいる人曰く、「努力しなきゃいけない時点で、アンタ向いてないよ」と。
その後、「努力の人」はその道を諦めて、別の道で「才能」を開花させるのだけれども……

話がそれました。この本の話は、またいずれ。

自分が夢中になって読める本。寝食を忘れて読んだ本。
それがなんだったか、また改めて振り返ってみよう。
きっとそこに、自分の「生きがい」を掘り起こす材料が見つかるかもしれない。

執筆者プロフィール

KOBA / KOBA5884 / 小林佑輔

1987年生。青春時代及び社会人経験の初期を神奈川県で過した後、2018年5月、福岡県うきは市に移住。

システムエンジニアとして食い繋ぎつつ、そこで培ったスキルを地域貢献に活かせないか模索中。

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