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人生とは、永遠のβテストだ。





突然ですが、みなさん、「すごろく」なり「桃太郎電鉄」なり、やったことありますか。
あれ、サイコロを振って出た目の数だけ進んで、目的地を目指すゲームですよね。

人生を「すごろく」に例えると、勉強って「サイコロの目を増やす行為」だと思うんです。
仕事中にそういうことを急にひらめきまして。
ちょっと、この思考をもう少し掘り下げてみようと思います。


「人生」を「すごろく」とします。
このすごろくの「ゴール」は「自己実現」くらいにしておきましょうか。
「サイコロを振る」という行為は「ゴールに向かうための努力」だと思ってください。

じゃあ、すごろくにおいて「いかに早くゴールするか」を考えた時に、
どういった対策が取れるか。
出来ることとして、以下の施策が考えられると思います。

・サイコロを振る回数を増やす
・一度に振るサイコロの量を増やす
・振るサイコロの目を増やす

「振る回数を増やす」というのは、つまり「努力する量をこなす」ということ。
プロ野球選手になるために、ひたすら素振りしたり走り込みしたり、とかですかね。
これをやるためには、とにかく健康な心身を保つことが求められます。

「一度に振る量を増やす」で考えられるのは、
「自己実現のために人脈や資産を活用する」といったところでしょうか。
自分の身体ひとつでは出来ることは限られますが、
頼れる仲間を作るとか、使える道具や制度を増やすとか、資金を投入するとか。
これを意識しようとするならば、自分やその周りについて、定期的に棚卸するといいでしょう。

さて、最後の「振るサイコロの目を増やす」ですが、
これがそもそもどういうことかというと、
極端な話「6面全部1のサイコロ」と「6面全部6のサイコロ」とでは、
ゲームスピードにものすごく差が出ますよね。
勉強して教養を積むことって、まさにこういうことだと思うんです。

例えば何かを実現したくて、それに向けて努力したとします。
ここで、「努力の仕方を間違えている」とか「闇雲に効率の悪い努力をしている」とか。
これって、「ひたすら「6面全部1のサイコロ」を振り続けている」状況じゃないかなって。

ここで教養を積んでいると、「努力の方向性」が定まったり、
「努力に対する質の良いフィードバック」得られたり。
教養を積むことで、「6面全部1のサイコロ」だったのが「普通のサイコロ」になる。
サイコロを振った分、より先へ進める状況が生まれる。
もちろん、振っているのは「普通のサイコロ」なので、常に努力が実る訳ではない。

さらに、教養による専門性を高める。
すると、「普通のサイコロ」が「24面サイコロ」になったり、
「6面全部6のサイコロ」になったりする。
これにより、努力すればするほどにぐんぐんと目標の実現に近く。


こうしたイメージを持った上で、自分の状況を振り返ってみる。
どうやったらサイコロを振る回数を増やせるだろう。
どこに新しいサイコロが転がっているだろう。
手持ちのサイコロで出目の少ないヤツはどれだろう。
で、これらを改善していく。当然、それと同時にサイコロは振り続ける。

こうしたイメージを、こどものうちから持てていたら、
勉強に対するモチベーションとか、お小遣いの使い方とか、変わってただろうな。
まぁ、こどものうちから具体的な目標を持つことは厳しいので、
ひたすらに、自分が持ってる「サイコロの目を増やし続ける」ことに専念するのがいいんだろうか。

多分、それは将来、何かに向けて努力してみようとサイコロを振ってみたときに、
きっといい目を出してくれると思う。

執筆者プロフィール

KOBA / KOBA5884 / 小林佑輔

1987年生。青春時代及び社会人経験の初期を神奈川県で過した後、2018年5月、福岡県うきは市に移住。

システムエンジニアとして食い繋ぎつつ、そこで培ったスキルを地域貢献に活かせないか模索中。

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