画面は開発中のものです

人生とは、永遠のβテストだ。

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うきはのわっ!」について軽く説明すると、
「うきは市内で活動している人同士で、お互いのことをもっとよく知ろう」
という取り組みです。

2020年2月6日に開催した第三回にて、プレゼンターとして登壇させて頂きました。

テーマは、「プログラミングと私」。
……実はこれ、打ち合わせの叩き台用の仮タイトルだったのですが、
気がついたらフライヤーにこのタイトルで載ってしまっていたので、
そのまま押し通した形です。笑
とはいえ後述の通り、今回はこのタイトルで良かったなと納得はしています。

発表にあたってはスライド資料を用意したのと、
原稿のようなものも、ついでに準備しました。
原稿を読み上げるような発表は最初からするつもりはなかったのですが、
「あれ、このスライドで何喋るんだったっけ?」となった時用の予防措置です。

今回はこの準備した諸々の資料について、ブログ上で公開致します。
せっかく作ったので色々な人の目に触れられる状態にしておいた方が良いかなと。

では、以下より資料となります。

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それではこれより、「プログラミングと私」という題目で話をさせて頂きます。
よろしくお願いします。
タイトルに「私」と入れると、なかなかにポエミーな感じになりますね。「私と小鳥と鈴と」的な。
実は仮タイトルだったのがそのままフライヤーに印刷されてしまった、という経緯があって、本当にこのタイトルでプレゼンするのかとだいぶ迷いがありましたが、本番を迎えた朝に「ああ、発表内容的に、このタイトルで大丈夫だ」と突然納得したんです。


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「私」込めた意味としては、当然小林佑輔に関する話もするのですが、「公」教育(public)としてプログラミング教育が始まろうとしている今このタイミングで、「私」(private)である民間の立場で、どのような心構えでこれからの時代を迎えていったらよいのか、といった話をしていければと思います。

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今回、大まかに何を話すかなのですが、大きく2つあります。「小さい頃からコンピュータ、インターネットに触れていると、人は何を学び、どう育っていくか」これは自己紹介も兼ねて、私自身について軽く話します。「なぜ、こどもたちに早期段階でコンピュータに触れさせる必要があるのか」小学校で始まるプログラミング必修化が、こどもたちにどのように作用すると期待されているのかについて、触れられればと思います。


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今回、想定している参加者さんです。
「お子さんをお持ちの親御さん」で、「とくに、こどもにコンピュータやインターネットを使わせるのがこわいと感じている方々」に向けて喋っていきます。
これに当てはまらない方にも楽しんで聞いていただけるように頑張ります。


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先に、今日のプレゼンを通じて、「これだけは覚えて持って帰ってほしいな」というポイントを紹介しておきます。
「学校で必修化されるプログラミングは、あくまで学び方のアプローチを会得するキッカケに過ぎません」
「生涯学び続ける覚悟が求められる現代社会において、学び方のアップデートはこどもにも大人にも必要です」
「コンピュータやプログラミングを学ぼうとした時に、並走する存在になれる人が、うきは市内には居ます」
この3つのポイントを頭の片隅に入れながら、今日の発表を聞いていただければと思います。


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さて、自己紹介が遅れました。


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私はこばやしゆうすけと申します。
1987年生まれで、今年で33歳になります。
本籍は浮羽町にあるのですが、父が転勤族だった関係で、育ちは横浜です。
今は吉井町のデザイン事務所に所属しており、職種としてはweb系のエンジニアを勤めています。


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先に学歴・職歴の話をしておくと、大学・大学院と情報系の学部に通っていました。
その過程で、今の高校には「情報」という教科があるのですが、その教員免許を取得しました。
ただ、これに関してはもうそろそろ失効することになるかと思います。結局教壇には一度も立たなかったので。
社会人になりたての頃は川崎にある小さなシステム開発会社に6年勤めていました。


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小さい頃の話を少しさせてください。
私がコンピュータを触るようになったきっかけは、小学生の頃、父のワープロを使って遊んだことでした。
最初の頃はキーボードの打ち方がわからずに、内臓のゲームで遊んでいましたが、ローマ字入力を覚えてからは、ワープロで文章を打つようになっていました。
字が汚いという理由で作文の成績を下げられていた自分にとって、代わりに「読める文字」を書いてくれるワープロは画期的な道具でした。
ワープロだったら、いくらでも文章を書けたのです。

インターネットに触れるようになったのは、もう少し先の話になります。
高校進学と同時期に、家族共用の古いパソコンと、インターネットが我が家にやってきました。
当時はADSL回線でしたが、ホームページを公開したり掲示板やメッセンジャーで友人たちとコミュニケーションをとるには十分な性能でした。
携帯電話、当時はガラケーでしたが、これを持ったのは高校2年生に上がる頃でした。
メールばっかり打ってた覚えがあります。


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コンピュータやインターネットが好きだったので、大学はそっちの分野に行きました。
昼夜を問わずパソコン・インターネットが使い放題の環境で、レポートの作成などは手書きのものの方が少なかった覚えがあります。
進学当時は、世間では「web2.0」というバズワードが生まれ、インターネット上で様々なサービスが次々と出てくる頃でした。mixi、youtube、ニコニコ動画、twitter、位置情報アプリのfoursquareなどなど……自分自身もネット上にコンテンツを投稿したりして楽しみました。

コンピュータについて実践を交えて学ぶのと同時に、学部が「環境情報学部」だったこともあり、大学の内外で環境活動にも取り組みました。
学部の中で「環境学科」と「情報メディア学科」に分かれており、環境活動に主に取り組んでいたのが環境学科の学生ばかりだったため、情報メディア学科所属の自分は情報機器の取り扱いの面において重宝されました。
このときに、「得意分野を別ジャンルで活かす」という体験を多く積んできたと思います。

大学3年生でゼミに配属され、ここでは「地域とICT」(ICTは「インフォメーションアンドコミュニケーションテクノロジー」、直訳すると情報通信技術の略です)をテーマに、様々なプロジェクトに関わらせてもらいました。
地域のこどもたちと、街の防災マップをwebツールを使って作成するフィールドワークを実施したり、地域で活用できそうなwebツールの勉強会を開催したり……
研究活動そのものよりも、研究室の諸々の雑務に追われていたことの方が記憶に残っていますが……

また、大学の在学中にスマートフォンが続々と登場しました。
つくづく、自分は時代の転換点の時期に大学で学べたのだなぁと実感します。


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自分は確かに情報系の大学に通っていました。
ただ、コンピュータやインターネットの仕組みについて深く勉強したというよりは、それらを他の様々な分野、環境活動やイベント運営、教育分野、組織運営、趣味の活動などなどに、どうやって活かしていくか、といったことを実践的に学んできたつもりです。


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そんな私も就職し、川崎の小さなシステム開発会社に所属することになります。
ここでは主に業務管理ソフトをお客さん別にカスタマイズするような仕事をしていました。
例えば、営業管理、顧客管理、在庫管理などですね。
技術としてはweb開発の言語を用いていましたので、大学時代に勉強したことが活かせる職場ではありました。


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社会人生活5年目に、うきはへの移住を思い至ります。
うきはに決めた理由、というか、うきは以外の選択肢は検討していなかったのですが、父の実家であり私の本籍地が長らく廃墟になっており、土地の管理含めて将来的に長男である私に諸々降ってくるので、だったら若いうちに地域に潜り込んで人とのつながりを作っておきたいなと思ったのが理由のひとつです。
地方移住を決意した理由としては、川崎での仕事は確かに自分のスキルを活かせたのですが、BtoB(会社対会社)の仕事への関心が年々薄れていって、学生の頃にやっていたような、地域に対して深く関わっていく仕事をしたい、という欲が出てきたためです。

移住にあたっては、市役所の運営するUBiC(移住・創業支援施設)に相談し、そこで地域プロモーションを手がけるNPO法人「うきはのあん」の太田さんを紹介頂き、その繋がりでサクラージュ(今は法人化してクロコデサイン)の津隈さんを紹介いただき、現職に就いたのが一連の流れです。


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こちらの建物、市内の方なら見覚えある方もいらっしゃるかと思います。
浮羽町の市民センター横の建物ですね。


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UBiCに移住相談をした際に、「自分で創業する」という方向の相談も同時に乗っていただき、移住後には創業セミナーにも参加して、


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個人事業主として開業するに至りました。


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事業概要としては「ITサービス、ソフトウェア開発、インターネット広告及びICT教育」としています。
その後、前職のご縁で東京の仕事をリモートで振っていただく機会などもありまして、昨年の年収全体の3割程度は個人事業がまかなっているという状況も作れました。プログラミングが多少できると、このように時間や場所に縛られない働き方で生きるという選択肢も見えてきます。


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ここまでは「これまで」の話でした。「これから」の話に入ります。

これからやろうとしていることとして、「こども向けプログラミング教室の開講」を目指しています。
ただ、厳密には、プログラミングだけを教えるのではなくて、PCの基本操作からプログラミング、SNSを活用した情報発信等について、学習・研究・実践する機会を提供する場を考えています。これにより、地域全体の「ICTスキル」を向上させることが狙いです。


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従来型の、いわゆる「教室」では、教える役の先生が、教わる側の生徒に対し、一方通行(あっても質疑応答程度)に知識を継承するスタイルが一般的でした。
一定量の身につけるべき知識を最短で大量に伝えるには、この方法が手っ取り早かったです。
しかし、後に触れますが、現代社会において何かを学ぶ際に、この方法だけでは対応できなくなってきています。


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私が作りたい「学びの場」は次のようなものです。


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先生も生徒も同じ目線に立ち、生徒自身が学びたいと感じることを引き出し、生徒同士で知識をシェアしあって、先生はそうした場作りのサポートだったり、生徒が得た学びを解釈してフィードバックする役に徹する。


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現代社会で生きていく上で身に付けて行かなければならない知識は増え続けていきます。
それを誰かから教えてもらうという「待ち」の姿勢でなく、自ら進んで学んでいく「攻め」の姿勢を身につける。
これを実践する上で、「プログラミング」や「ICT」といった分野を学ぶことは最適であると考えています。


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ではここで、コンピュータとこどもがどのように関わりあっていけば良いかを考えてみましょう。


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まずは、2020年度からの「小学校でのプログラミング必修化」について話をしたいと思います。

こちらについてもよく誤解されるのですが、科目として「プログラミング」という教科が増えるわけではなく、国語や算数などのあらゆる科目に対して、プログラミング的な要素が組み込まれる、というのが、今回の改訂です。
平成29年に告示された「小学校学習指導要領」……これは教育版の日本国憲法のようなものなのですが、ここの「第1章 総則」内、「教育課程の実施と学習評価」の「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」という項目に、次のことが明記されています。

「各教科の特質に応じ、次の学習活動を計画的に実施すること
『コンピュータで文字を入力するなどの学習の基盤として必要となる情報手段の基本的な操作を習得するための学習活動』
『プログラミングを体験しながら、コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動』」

つまり、各教科でコンピュータの基本的な操作方法からプログラミングを体験させるまでのことを授業に取り入れなさい、というのが文部科学省からのお達しです。
この指導要領の改定を受けて、ここ2〜3年の間に、こども向けのプログラミング教室や教育教材が雨後の筍のように登場しているのは、おそらく皆様も感じているのではないかと思います。


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一方で、おそらく皆様は次のような心配をされていると思います。
「こどもにコンピュータを与えると、根暗になるんじゃないか?ひきこもりになるんじゃないか?体が弱くなるんじゃないか?依存症になるんじゃないか?」
長らくコンピュータに触れてきた私から言わせてもらえれば、「まぁ付き合い方次第ではそうなるんじゃないですかね」といったところです。


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時間を決めるとか、コンピュータ以外にも興味をもって関わるとか、適度に休憩するなど、適度な距離感を保って上手に付き合っていけば、先ほどのようなことは防げると考えます。


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先の懸念について間違えてはいけないのは「コンピュータが引きこもりや依存症を作る」のではなく、「依存できる先や生きがいをコンピュータにしか見出せなかった」のが問題です。
言ってしまえばコンピュータは道具に過ぎません。道具そのものを敵視するのではなく、それを見る目線が変われば、自ずと付き合い方が変わってくると思います。


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ここで、SF作家のダグラス・アダムスの言葉を紹介しておきます。

「人は、自分が生まれた時に既に存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる」
「15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられる」
「35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる」

いかがでしょうか。特に「35歳以降になって……」の部分なんかは、思い当たる節があるのではないでしょうか。
重要なのはそこではなく、今の小学生たちにとって、コンピュータやインターネットなどというものは、世界を構成するものとして当たり前に溶け込んでいる、ということです。


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こどもたちはコンピュータが当たり前に使われている世界を生きていて、コンピュータを使って自分の身の回りで起きる様々な問題を解決したり、文章や写真や動画といった形で、自己表現をするための道具として使いこなしていきます。
現代や未来を生きる上での必需品として、コンピュータが存在するのです。


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むしろ彼らにとって、コンピュータの無い生活は、
他人とのコミュニケーションが円滑に取れなくなったり、
コンピュータが人間に代わって仕事をこなしていく世界において食い扶持がなくなったり、
間違った情報や重要度が低い情報に晒され続けるといったリスクがあります。
私は早い段階から、コンピュータを活用して現代社会を生きる術を身に付けていくことが、自衛につながると考えています。


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変化の早いIT分野においては、大人とことどもとの間に知識量に大差はないと考えています。
こどもがITスキルを学ぶのは、同時に我々大人が現代社会を学ぶきっかけにもなります。


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それでは、ここにきてようやく、プログラミングの話をしていこうと思います。


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今さらですが改めて、プログラミングとは何なのでしょうか。
早い話がコンピュータへの命令文であるプログラムを書くことです。


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私がプログラミングに触れたきっかけは、高校での「情報」の授業でExcelのマクロを組む演習でした。
その後、大学の講義でC言語、JAVA、PHP等の言語の基礎を学び、
ゼミ配属をきっかけに、自分でwebサービスを考えて開発するようになりました。
学園祭の実行委員会が管理する備品を地図上に表示するサイトや、
地域の緑道団体の活動報告サイトの制作、
地域で開催されるイベントの情報まとめサイトなどを開発しました。


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こうして色々取り組むことが出来たのは、プログラミングを少しかじって挫折する人も多い中で、自分はその行為の楽しさを感じることが出来たからだと思います。
楽しくなかったら、どれかひとつを作った段階か、大学講義の課題制作の時点で、こっちの道は諦めていたかもしれません。


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自分は、プログラミングはコンピュータとの対話の時間だと思っています。
彼らは応答速度が大変優秀で、処理の成功も失敗も即時に返ってきます。
処理を書いて、動かして、上手く行って、次の処理を書く。
失敗したら立ち止まって、別のやり方を考えて、書いて、動かす。
こうしたトライアンドエラーの積み重ねが、プログラミングの醍醐味かなと個人的には思います。

プログラミングは、やってて楽しいと思う瞬間が多く存在します。
先ほどのトライアンドエラーの過程で自分の思い通りに処理が動いた時もそうですが、
それ以前の、何を作ろうか考えている時や、
作ったサービスや機能が、自分を含めて誰かの役にたった時なども、楽しさを感じることができます。


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もちろん、楽しいばかりではありません。
プログラムを書いたりサービスを作ったりするとき、誰かが決めた正解というものが無いことが多く、やり方を考えたり方針を固めたりするのに何度も迷う場面に遭遇します。
また、いざ作り始めた時も、処理が思い通りに動かなくて、解決のために三日三晩悩むこともあります。
ただ、そうした苦労から抜け出す瞬間も必ずあって、それもまた、楽しさの一つかなとも思います。


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ここで、実際にプログラミングがどのようなものか、雰囲気を体験していただこうかと思います。
これはscratchといって、おそらく小学校などでも広く使われるようになるプログラミング学習ツールです。
(この後、scratchが動かせるサイト上で実演)


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最後に、私がプログラミング学習を通じて得ることができた学びについて、話していきます。


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大きく3つあります。

「問題解決への思考力」
「情報探索能力」
「学びに対する姿勢」

ひとつずつ見ていきましょう。


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まず「問題解決への思考力」。
プログラミングを実践していく中で、処理が思い通りの結果を返してくれないことが多々あります。
そんなときに、どのように対処して行ったら良いかについて、冷静に状況を分析する力を養うことが出来ました。
具体的には、思い通りにならないことに対して「考えられる原因を列挙」したり「問題を切り分けて」考えたり「問題を単純化して」考えたりといった手法を用いることです。


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結局プログラミングって「ある入力に対して、ある処理を行って、ある出力を返す」ことの繰り返しです。
問題が発覚するのは出力のタイミングですが、どこに問題があるのかを考えるときには、この3箇所にまず分類すると良いです。


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料理で例えるとわかりやすいかもしれません。
入力には野菜や肉といった材料、処理には材料を切ったり火を通したりといった工程、出力は盛り付けの出来栄えや味ですね。
仮に、出来上がった料理が美味しくなかったとき、それは盛り付けが雑だったのか、火加減を間違えたのか、材料を切るサイズを間違えたのか、そもそも材料の配分を間違えたのか、材料が古かったのか……などなど、原因を段階に分けて考えると思います。
これと同じことがプログラミングにも通用するし、仕事や生活上で直面する様々な問題にも適用できると思います。


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次に「情報探索能力」。
問題が特定できたら解決に向かえば良いのですが、解決策を探ってもストレートに上手くいくことは稀だと思います。
インターネットを漁れば色々な人が色々なことを言っているからです。
こうしたときは、情報収集先を一箇所に留めず複数の情報源を当たったり、情報の発信者が何故その解決策を提示しているのか、意図や背景を読み取ったりといったスキルが求められます。

さて、そうして情報収集を済ませても、複数の正解に行き着く、なんてこともあります。
こうしたときは、自分なりの判断基準を設けて、正解の中から取捨選択する力が必要になってきます。


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最後に「学びに対する姿勢」。
何度か出てきましたが、プログラミングをはじめITの分野は変化が激しいため、常に勉強を続けていないと変化に対応できなくなってしまいます。
そのため、生涯学び続け、自分の技術や知識をアップデートし続けていくといった覚悟が求められます。


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プログラミング言語だけをとってみても、コンピュータが生まれて以来、次々と新しい言語が現れては消えていきました。
言語一つ一つの中でも、出来ることが増えていったり、古い書き方が廃止されるなどの改良が常に続けられています。
プログラミングを学ぶ際には、今使われている主流の言語を追いかけることも大事ですが、流行り廃りに左右されない、普遍的な考え方を身につけることも大事です。


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「問題解決への思考力」
「情報探索能力」
「学びに対する姿勢」
こうした素養が、プログラミングを学習していく過程で身につくと考えています。


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最後に、プログラミングをこれから学ぶこどもたちに向けて一言二言残して、私からの話は締めくくりたいと思います。


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まずは「身近なことから感じる「なぜ?」を大事に」してほしいなと思います。
プログラミングはあくまで問題解決の手段であって、プログラミング自体が目的になってしまわないよう、気をつけながら楽しんで取り組んでもらえればと思います。

もうひとつは、ぜひ「大人たちと肩を並べて一緒に」学んでもらえればと思います。
変化の激しい分野なので、こどもが持つ素直さや柔軟さが、どんどん知識を吸収していって、大人たちよりも技術の習得が早いかもしれません。
そうなってくると、むしろ大人がこどもから色々と教わることが増えてくる、なんてことも十分にありうると思っています。


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大人とこどもが一緒になって同じ目線で、お互いに学びあえる場づくりを、これから頑張っていきたいと考えています。
具体的な教室開講のスケジュールが決まってなくて恐縮ですが、引き続き見守っていただければと思います。


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以上で私の発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。


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……とまぁ、こんな感じの発表をしてきたわけです。

当日は20名程度の方々に、お話を聞いて頂きました。
和やかなムードで終えられたと思います。
流石に1時間以上喋りっぱなしは初の試みだったので、結構気力が持っていかれましたが。

さて、ここまで大々的に「やるぞ」宣言した以上は、早いところ実行に移したいところですね。
そこに向けた思考整理がぼちぼち必要な段階なので、別の機会に書き綴ろうかとは思っています。

執筆者プロフィール

KOBA / KOBA5884 / 小林佑輔

1987年生。青春時代及び社会人経験の初期を神奈川県で過した後、2018年5月、福岡県うきは市に移住。

システムエンジニアとして食い繋ぎつつ、そこで培ったスキルを地域貢献に活かせないか模索中。

詳しいプロフィールはこちら

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