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人生とは、永遠のβテストだ。


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シリーズ「個人的昔話」の執筆目的


事業発足に必要なのは、
その事業に傾ける「情熱」であり、
「情熱」の源泉は、事業発起人の「原体験」にある。

実業家たちの本をいくつか読み漁って、
上述の仮説を得た私は、
自身の「原体験」を掘り起こすことを思い立った。

原体験を振り返り、
そこで得た人生の糧を、
自分がこれから起こそうとしている事業に活かすことを目的とした、
一種のブレーンストーミングである。

今回の「原体験」

今回の昔話は、青年期。というか高校時代。
進路指導の一環で、性格診断的な調査を、学校全体で一斉に受けたときのこと。

何日かして、診断結果が返ってきた。
当時、生徒会に所属していた私は、診断結果を先輩と見せ合った。
そこで、自分でも気付かなかった、診断結果から見える特徴を指摘される。

「KOBAお前、”適応力”が低くて”耐性”が高いとか、普段どんだけ我慢してるんだよ」

言われるまで、全く気付いていなかった。
そうか、変数Aが低くて変数Bが高いことにより、特性xが見えてくるのか。
これには目から鱗だった。

で、今回発覚した特性xについて、思い当たる節はいくつも、いくらでもあった。
というか、指摘されるまで、自分が今までしてきたことが「我慢」であるという自覚すら無かった。

例えば、小学校時代に友人から理不尽な因縁をつけられて、
それに対して何も言い返さず、そのままその友人と半年以上疎遠になったり、
成人して10年以上経った今でさえ、
自分の意見を否定された際に、それに対して反論することをせず、
話題が変わるまでだんまりを決め込んだりと、いったことがあったが……

「そうしている最中」の自分は、
「自分の能力が低いから」「自分が内向的な性格だから」
といった形で、自分に非がある前提で、その場は(少なくとも自分は)納得していたが、
よくよく振り返れば、次の結論に至る。
「あれ?俺、知らず知らずのうちに、頼まれてもいないのに我慢してない?」

原体験から得た「気付き」

「自分が我慢していることに、自分自身が気付かない」
こうしたケースが存在するということを、まずは知ることが出来た。

無自覚に、自分の意見を押し殺している。
自分の欲求を、無意識化に抑え付けている。
こうしたことが、実は日常茶飯事に起きているのかもしれない。

それを、2018年2月の下旬に、痛感した。

ググった結果を総括した自己診断の結果だが、
疲労とストレスからなる「自律神経失調症」の諸症状に悩まされた。
具体的には、全身の痺れ、めまい、頭痛、吐き気など。

「自分が一番忙しかった時に比べれば」と、つい見落としてしまいがちなのだが、
ここ2〜3ヵ月の労働スタイルは、自身の心身に過重な負荷をかけていたようだ。

(なお、3月上旬に退職してから現在(3月中旬)の体調は概ね良好であることを追記しておく)

原体験をどのように昇華するか

とにかく、自分は外的ストレスに対して「諦める」「我慢する」といった選択肢を取りがちなので、
まずはそうした環境や事象からは意識的に距離を置かなければ、自分が潰れてしまう。
それを実践できていないと、同じような境遇の誰かへの
「つらいことからは逃げてもいい」という言葉の投げかけは、説得力を帯びない。

ただ、自分の場合、「諦める」「我慢する」といった行為を「無自覚に」選択しがちなので、
自分が「そうした状態である」ことを、どうにか検知する仕組みが必要だ。

とはいえ、今は体調不良の症状が出ることでしかそれは叶わず、それでは遅い。
「自分は何に対して、(悪い方向に)ストレスを感じるのか」
「何が起きたとき、どのような体調の変化があったか」
これらについて、注意深く自己観察する習慣をつける必要性を感じる。

自分の心身のシグナルに真っ先に気付けるのは自分自身のはずである。
まずは自身の心身を調え、その過程で得た知見を広く伝えていきたい。

 * * *

とまぁ、こんな感じで、
今後も自分の昔話と、そこから何を得て何を決めたのかについて、
綴っていきますので、お付き合い頂けますと幸甚です。

執筆者プロフィール

KOBA / KOBA5884 / 小林佑輔

1987年生。青春時代及び社会人経験の初期を神奈川県で過した後、2018年5月、福岡県うきは市に移住。

システムエンジニアとして食い繋ぎつつ、そこで培ったスキルを地域貢献に活かせないか模索中。

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