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人生とは、永遠のβテストだ。

カテゴリ: 個人的昔話


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シリーズ「個人的昔話」の執筆目的


事業発足に必要なのは、
その事業に傾ける「情熱」であり、
「情熱」の源泉は、事業発起人の「原体験」にある。

実業家たちの本をいくつか読み漁って、
上述の仮説を得た私は、
自身の「原体験」を掘り起こすことを思い立った。

原体験を振り返り、
そこで得た人生の糧を、
自分がこれから起こそうとしている事業に活かすことを目的とした、
一種のブレーンストーミングである。

今回の「原体験」

今回の昔話は、青年期。というか高校時代。
進路指導の一環で、性格診断的な調査を、学校全体で一斉に受けたときのこと。

何日かして、診断結果が返ってきた。
当時、生徒会に所属していた私は、診断結果を先輩と見せ合った。
そこで、自分でも気付かなかった、診断結果から見える特徴を指摘される。

「KOBAお前、”適応力”が低くて”耐性”が高いとか、普段どんだけ我慢してるんだよ」

言われるまで、全く気付いていなかった。
そうか、変数Aが低くて変数Bが高いことにより、特性xが見えてくるのか。
これには目から鱗だった。

で、今回発覚した特性xについて、思い当たる節はいくつも、いくらでもあった。
というか、指摘されるまで、自分が今までしてきたことが「我慢」であるという自覚すら無かった。

例えば、小学校時代に友人から理不尽な因縁をつけられて、
それに対して何も言い返さず、そのままその友人と半年以上疎遠になったり、
成人して10年以上経った今でさえ、
自分の意見を否定された際に、それに対して反論することをせず、
話題が変わるまでだんまりを決め込んだりと、いったことがあったが……

「そうしている最中」の自分は、
「自分の能力が低いから」「自分が内向的な性格だから」
といった形で、自分に非がある前提で、その場は(少なくとも自分は)納得していたが、
よくよく振り返れば、次の結論に至る。
「あれ?俺、知らず知らずのうちに、頼まれてもいないのに我慢してない?」
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シリーズ「個人的昔話」の執筆目的


事業発足に必要なのは、
その事業に傾ける「情熱」であり、
「情熱」の源泉は、事業発起人の「原体験」にある。

実業家たちの本をいくつか読み漁って、
上述の仮説を得た私は、
自身の「原体験」を掘り起こすことを思い立った。

原体験を振り返り、
そこで得た人生の糧を、
自分がこれから起こそうとしている事業に活かすことを目的とした、
一種のブレーンストーミングである。

今回の「原体験」

小学校3年生から中学校1年生までの5年間、
私はバスケットボールクラブおよび部活に所属していた。

1987年生まれであれば、小学校2〜3年生くらいの頃に、
TVアニメで「スラムダンク」が放送されていたかと思う。

かくいう私も、視聴者の一人で、
バスケ素人の桜木花道が、強敵・強豪を相手に成長していく様に興奮し、
小学校のホームルームで配布された、
地域のミニバスケットボールクラブへの勧誘チラシによって
ついに自身もバスケをやりたいと思うようになる。

しかし私は、桜木花道のようには、なれなかった。

ただでさえ運動神経が悪いことに加え、
アニメで見た知識しかない自分は、
スポーツとしてのバスケットボールのルールや戦略性について、
よく知りもせず、何より知ろうともせず、
漫然と、コーチや監督の練習メニューをこなすだけの日々。

「あいつは俺より背が高いから強いんだ」
「あいつは俺より足が速いから上手いんだ」

そう思っていられるうちは幸せだった。

そのうち、自分よりも後からバスケを始めた同世代や、
自分よりも年下の子達にすら、実力で離されるようになる。

小学校6年生くらいの頃には、
根本的に自分は運動に向いていないのだろう、ということに、
薄々気付いてはいたのだが、
何故だか「引くに引けない」と思い込んでしまい、
結局小学校卒業まで、ミニバスケットクラブには所属し続けた。

お別れ会のときに、監督に
「最後までよく頑張ったね」
と言われ抱きしめられたのをよく覚えている。
その時、その言葉に、子供心に、疑問や違和感に似た感情を抱いたことも。

中学校進学後、
「部活に入らなければならない」
「バスケを続けなければならない」
という、謎の思い込みから、バスケ部に入部。

そこには、同じくミニバスに通っていた同学年のメンバー。
「このメンバーの中で、自分はカースト最下位だ」
そんな思いを抱きながらの練習の日々。

桜木花道に憧れていた、かつてのモチベーションは、とうに消え去っており、
バスケを続ける意義も意味もモチベーションも何も無かった。
ただただ練習について来れない、成長も無いお荷物の自分。
同世代のメンバーも、先輩も、そんな自分に苛立っていたと思う。

結局、いじめを苦にして、中学2年生への進級を機に退部。
入れ替わりで入学してきた、ミニバス時代の後輩に対し、
「ごめんね。俺、バスケ辞めちゃった」
と告げたのを覚えている。
いったいあの時、私は何に対して謝っていたのだろう。続きを読む


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事業発足に必要なのは、
その事業に傾ける「情熱」であり、
「情熱」の源泉は、事業発起人の「原体験」にある。

実業家たちの本をいくつか読み漁って、
上述の仮説を得た私は、
自身の「原体験」を掘り起こすことを思い立った。

原体験を振り返り、
そこで得た人生の糧を、
自分がこれから起こそうとしている事業に活かすことを目的とした、
一種のブレーンストーミングである。

今回の「原体験」

地域のこども会が主催する「クリスマス会」にて、門前払いを受けたことがある。

私の両親は、両親とも福岡県の出身ではあるが、
私の「出生地」は大分県である。
父が転勤族で、小さい頃は引っ越しが多かった。

そんな引っ越し先の一地域で起きた出来事。
私は当時6歳だった。

月に1回、住んでいるマンションのゴミ捨て場にて、
地域のこども達が集まって「空き缶潰し」をしていた。
彼らは「こども会」のメンバーだった。

私は、家庭が転勤族だったこともあり、
こども会には加入していなかった。
しかし、「空き缶潰し」は参加させてもらえた。
同年代のこども達と、ワイワイ空き缶を潰すのは楽しかった。

12月、自宅近くの児童館にて、クリスマス会が開催された。
参加資格があるのは、こども会加入のこども達。
「空き缶を一緒に潰した彼らが参加している会なら、自分も混ざれるのでは」
と思い、私も参加しようとしたが、追い返されてしまった。
私はその日、泣きながら家に帰った。

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