地方は結局「若者」を排除して自ら衰退する 「若者に活躍してほしい」は、ほとんど口だけ | 地方創生のリアル – 東洋経済オンライン
「いずれ地方(本籍地)に移住して事業をやりたい」と何度かブログ内で書いていますが、
この野望(?)を語る上で、避けて通れないワードがあります。
それが「地方創生」。
色々と関連書籍を読み漁ったりもしたのですが、
調べれば調べるほど、この言葉に込められている意味が混在しすぎているような気がして。
さて、今回は、せっかく上記のようにバズってる記事があるので、
記事の内容に触れながら、自分にとって「地方創生」とは何を指すのか、考えてみようと思います。
「地方創生」を語る上で、まず念頭に置かなければならいのが、
「都市(いわゆる東京)」と「地方」の二分論。
地方では過疎化が進み、都市に人口が一極集中するという人口動態。
並行して、進む高齢化。地方での労働力不足。コミュニティの衰退。
だから、都市部から若い人を地方に呼び込もう。
一方で、「地方創生」という言葉に対して眉に唾をつけて見ている人たちもいて。
地方では稼げない。やりたい仕事がない。人間関係が濃くて辛い。
インフラを一箇所に集中して開発した方がローコストじゃん。
だから、 東京に出て仕事に就こう。
これらの主張はいずれも当たっていて。
国として、今、地方に人を呼び込む方向に舵を切ろうとしている。
地方に人を呼び込むために、国が地方自治体に対して予算をつけたりしている。
しかし、この予算を効果的に使えている自治体・そうでない自治体とで、明暗が分かれている。
私は、各地方について、持続的に発展する仕組みを導入できる「経営者」が必要だと、
「地方創生」に関する書籍や記事を読み漁り、ざっくりと自身の主張の輪郭が見えてきた段階です。
対象とする地域の資源を適切に有効活用し、人員を調整し、マネジメントし。
その地方がどう在りたいかの青写真を描き、それに向かって産官学民という「組織」を動かす。
そうしたことを出来る人が、各地方には必要なのではなかろうか。
「地方創生」という一言は、各地方によって、
「どう在りたいか」「どうなっていきたいか」によって、意味するところが変わってくると思う。
観光地化するのか、伝統工芸を産業として発展させていくのか、
場合によっては、緩やかに滅んでいくという選択を迫られる場合だってある。
「地方創生」の一言だけで、日本中の全ての地方に普遍的に何かの策が当てはまる訳ではない。
私は、今の段階では「地方創生」は「クラウド」とか「IoT」並みに、
バズワードでしかないと思っています。
これから、それを為す人たちの手によって、意味が作られていく段階、というか。
だから当面は、「地方創生に取り組むべきだ」という主張と、
「地方創生にコストを割くのは不毛だ」という主張の、両輪が存在することでもって、
両方の側面から「結局地方創生ってこういうことだよね」と、輪郭と肉付けがされていくのかなと。
今は、議論することそれ自体を、止めてはいけないのだと思います。
そう私が主張するのは、
「私が地方創生の一プレイヤーになるまで、結論を待ってほしい」
という一種の願望なのだけれども。
これから新しい価値作りをみんなで作っていこう、という段階なのだから、
その波に乗った方が絶対楽しい。
まさか齢30近くになって、「早く自立したい」とかいう願望が、
自分の中で湧いてくるとは思いもしませんでしたよ。何年か前まで。
早く自立して、自分に手の届く範囲から、社会に対して色々仕掛けていきたいですね。